2011年9月20日火曜日

世界政府 

 こんばんは。
許しがたいサボリン加藤です。
さぼりすぎてブログのパスワード忘れるとこでした。
趣味はワインレッドのマニキュアを塗って、手の甲の静脈の緑とのコントラストを楽しむことです。好きな味は塩味です。そんなタワゴトはおいておいて、今日はちょっと寒いですね!9月の最初の寒い風が吹くときってなんか寂しいですよね。夏が終わりみたいで。ま、夏は大嫌いなんですけどね。

ちょっとブログを休んでいる間にいろいろありましたね!911の10周年や首相が交代したり中東ではまだまだ混乱が続いていますね。アメリカではだんだん大統領選にむけて共和党の候補者たちがうるさくなってきましたね。
個人的なニュースですが最近国連でインターンを始めました。以前よりも様々な世界情勢に触れる機会が増えたので、今回はタイトルのとおり、世界政府について書こうと思います。

世界政府というとどんなイメージですかね?
全世界を支配する政府で何か恐いイメージを持つ人が多いんじゃないかな?英語だとworld governmentとかglobal governmentっていいます。世界政府じゃなくてもっと良い訳があれば教えてください。 簡単にいうと、国際社会では国の上にそれらを支配するさらに上の機関とか政府といったものは存在しないですよね?世界政府はそいいう役割を担う物で、超国家的な存在として国際問題の解決に中立的立場で関与しようという考えなんですね!国連はそれに近いところがありますよね。世界で起こっている紛争や飢餓や経済的不平等などを解決し、世界平和を維持しようというのが目的です。グローバル化がどんどん進んで国境を越える交流や貿易が進む中で、その経済規模の拡大と成長にそれを規制したり監視したりするシステムってまだ存在しないですよね。そうしたシステムとしての役割もあります。

さてさて、なんとなく自分たちにあんまり関係なさそうなイメージですよね?日本でもそうういう活動をしている人たちがいるんですよ!政治家の方でもそういう動きに参画する方もいます。有名な機構としては世界連邦運動協会というのがあります。ニューヨークに本部があり、国連とも協同したりしています。

みなさんはこの世界政府は実現可能だと思いますか?そもそも必要だと思いますか?

こうした議論は厳密には内容は少し異なるとしても、かなり以前から存在したんですね!

みなさん13〜14世紀のイタリア人の詩人、ダンテ・アリギエーリはご存知ですか?『神曲 』がとても有名ですよね。
さて、彼も世界政府の概念について少し語っているんです。
彼はアリストテレスのように、人間はみんな共通善という共通の目的を持っていて、その達成のためには平和が不可欠であると考えます。よってその平和を実現するために世界を支配するものが必要である。それは君主や皇帝で、世界を支配する専制君主は全世界の全てを所有しているのだからそれ以上何もいらない。よって世界の平和のために行動できるはずと考えたんですね。まだ彼の時代国際政治というよりはイタリアを中心に発展していたローマ帝国、ヨーロッパ中心の考えだったとは思いますが、ここには世界を支配する何かという概念を見いだすことができますよね!


その他にもみなさんが知っているジョン・ロックやルソーといった、大きな革命に影響を与えた哲学者や政治学者たち、多くの知識人がその後に世界政府について語っています。
いろいろ小難しくなってしまうので、簡単にまとめると、賛否両論もちろん存在していました。ヨーロッパの17世紀ごろの主権国家の成立以後、国家間の覇権争いが続いた結果、何か/誰かが世界平和を守る役割をするべきだと考える賛成論は自然の流れだと思います。反対派の意見としては、戦争をするのは国家や組織であって個人ではない。よってそうした世界政府のような組織があったとしてもその平和維持能力は疑わしいというものや、そうした政府をつくったことによってもたらされる良い福利よりも、その樹立過程で犠牲となる福利の方が大きいのではないかという議論もありました。
みなさんはこういう意見についてどう思います??



最近は技術革新や経済グローバル化で世界政府が再度注目されています。情報、技術、コミュニケーション、運輸の技術進歩によるグローバリズムというのはいい点だけではないですよね。以前も書きましたが国家間の相互依存の高まりや、テロや経済/金融危機、地球規模の環境問題などのリスクの全世界での共有というのは大きなデメリットですね。経済による不平等をだれが是正し、核兵器をコントロールし、資源をどう配分していくか。これらのデリケートな問題に、超国家的な組織が、どの国の利益にも偏ること無く関われれば良いなとは思います。

アインシュタインは世界政府の概念に肯定的だったんです。めちゃくちゃ簡潔にまとめて、全ての国や政府に承認された超国家的存在が法的権力をもって国家間を規制しないといけない。そして武力の行使をその機関に委ねるべきという考えでした。特に核兵器について暗示しているようにも思えますね。

最近の自由主義者の中には反対意見もあります。その大きな理由として、世界政府なるものがそんざいして中央主権的に支配するとすれば、それが行使する法やそれがもつ価値観の浸透により全世界の同質化が進む。そうすると各国家の文化や民族といった多様性や独自性が薄れるのではないかと懸念しているんですね。これについてはわたしはあまり賛成しませんね。逆にナショナリズムが覚醒されて、自国の文化や伝統を守ろうという動きが盛んになるんではないかな〜と思います。そもそも、誰も価値観をおしつけるような組織が国家の上位に存在するというのは望んでないですよね。わたしの意見では、世界政府というと何か圧迫的で恐いイメージだとは思いますが、そうではなくて例えば核兵器や武力の行使、国際紛争の司法権のみを超国家的組織に委譲して、部分的な世界政府をつくるべきではないかなと思います。国連は先にも書いたとおりそれに近いですが、やはりそれよりも国家の区切りというのは未だ強く、治外法権だとか、介入できる限界はあります。(国際刑事裁判所)ICCはみなさんご存知?ジェノサイドや紛争など国際犯罪を裁く機関ですが、条約ベースの機関で、介入できる範囲にかなり限りがあります。

こうやってみてみると、ずいぶん以前から議論されている概念ですがなかなかその実現可能性やそもそもの必要性にわからないことがたくさんありますよね。
私も正直、答えがみつかりません。
ただ、以前に国民総幸福量のところでも書いたんですが、幸福の量を量るとか、超国家的組織をつくるというのはいわばユートピア的で理想主義的でぼんやりした現実味のない議論のように見えます。でもそうしたユートピア的ものであってもそれをどう現実味を帯びたプランに具体化、具現化するかを考えるプロセス自体がとても大切だと思います。世界でたくさんの人が世界政府の意義について考えることは、世界平和や正義について考えることです。するとそうした話題に関心があつまり、今まで見えなかった問題が見えたり、もしかしたら何かいい具体案が浮かぶかもしれませんよね。

わたしがはっきりした答をまだ持っていないのでちょっとまとまりのない文章になってしまいましたが、読んでいただいてありがとうございます。

これから頑張って更新していきますので、宜しくお願いします!!

書いてほしい話題などあれば、どんどんコメントしてくださいね!!!

最後にこんな寒い雨の夜にサボリン加藤からこの一曲。


2011年8月30日火曜日

スタイリッシュであるためにいつも新しい服を買う必要がない!

はろ~。
クライアントへの報告書をやる気力が全っ然湧いてこず困っている○○です。

今日はマーケティングのお話です。
色々なマーケティング方法があると思いますが、やはり今はウェブマーケティングがとても大事だと思います。
マーケティング大国のアメリカはやはり進んでますね。

有名なのがeepybird.com です。
みなさんもこの映像を見たら絶対知ってるはず。
ダイエットコークにメントスキャンディをいれると3メートル以上も噴き出すというもの。

メントスのメーカーのペルフェティ・ファン・メレUSAのマーケティング担当副社長ピート・ハーリィはきちんとウェブ上のメントスの動きをみていて、きっちりこの映像もおさえていた。
そしてこの映像をどれだけの人が見ているか、つまりこのバイラル現象をきっちり追っていた。
彼はこのバイラル現象を後押しする行動を取ったんですね。

例えばメントスのサイトにeepybird.comのリンクを貼ったり、eepybird.comのグローブとボルツにも連絡を取り、一緒にテレビ出演もした。
常に自分のブランドがウェブ上でどう言われているかを把握し、バイラル現象が起きているときは、それを上手く利用することが大事なんですね。

さて前置きが長くなりすぎましたが、今日のタイトルはSheena Matheiken(シーナ・マテイケン)の一言、「もし想像力を働かせて個性を大切にするのならば、スタイリッシュであるためにいつも新しい服を買う必要がない」から。

みなさんは彼女をご存知ですか?
インドに学校を建てる寄付を集めるため、
1年間同じブラックドレスを365通りのコーディネートで着こなし、毎日ブログでスタイリングを掲載し、世界的に話題を呼んだのです!

とても良い寄付の話であると同時にこれは素晴らしいマーケティングだなぁと思います。
彼女がこのブログを立ち上げるとたちまちNew York Times, The Guardian, CNN, BBC, Times London, LA Times, MSNBC, NPR, PBS, Vogue, Elle, Glamour, Marie Claireなど数々のメディアが取り上げたのです。
 そしてサイトを見た人から集った寄付金の総額は、たちまち1年で総計は10万3374ドルとなったそう。

メントスやこのSheenaのように斬新なマーケティングを思いつければと思いつつ
日々仕事に集中できない◎上でした。

彼女のスタイルブック「NY流 シーナのブラックドレスで365日」は8月26日(金)、メディアファクトリーから発売されました。
fashionsnap.comでも紹介されてます。
是非みてね。

そういえば昨日29日米国務省で29日に行われたヌーランド報道官の定例記者会見で、野田内閣誕生に対し、この数年間で何人目の日本の首相になるのか質問され、報道陣が苦笑していたとか。。。http://goo.gl/quHaN

内海 桂子

どうも金曜からアホな社員がブッチしていて想像の中で彼の顔をボコボコにしている溝○です。
前回からどうも暴力的ですみません。
金曜からブッチしている彼。大事なTシャツサンプルを持ったまま失踪中。
そんなアホが何と日曜にビーチパーティーに行っていたことが発覚!
さすがに私の同僚が家まで行くことになりました。
やさしくておもしろすぎる部長と外出した帰りにいくことになったんですが、
部長が出ていくときに「○山君と一緒に○○の家に火をつけてきまぁす♥」って言ってました。
その部長本当面白いエピソード満載なんで今度彼について書きますね。

そんな世紀のドあほのtwitterアカウントはこちら♥
なぁんてブラックジョークはこの辺に。

さてさてタイトルの内海桂子ですが、みなさんご存知ですか?

1921年9月12日、おんとし89歳の東京都出身の芸人(元漫才師)であります。
web marketingに非常に興味のある私ですが。
なんと内海師匠はtwitterアカウントをもっているんです!
フォロワーは46,010!!!
頭があがりません。

ちなみにwikipedia(ウィキペディア)によるとtwitterを始めたのは2010年からだそうです。
88歳にしてtwitterスタートとはなんともスゴイ。

プロフィールが最高に面白い。
「大正11年生れの漫才師です。体の右側はゲタ骨折、大腿骨折、右乳がん、右手首骨折、右目緑内障と大体やられています。でも舞台で踊りもしています。」
最後の一文の「でも」の使い方が何とも絶妙であります。


 調べていたら今月頭に肺炎で入院したそう。
心配になって最近のつぶやきを検索してたら
内海桂子
今日は病院で定期検査を受けた。採血で自分の真っ赤な血が ドンドン出てくるのを見て、そういえば最近生理で下着を汚す事がなくなったわねって看護婦さんに言ったら彼女が思わずプッてふき出して普通は50代でそう ゆうのはなくなりますよって。考えてみると私はいつ無くなったのか気付かなかったわね。」
なんておちゃめなつぶやき。笑
いつまでも元気でいてほしいものです。

さて野田内閣が誕生しましたね。
今後どうなるか注目ですね。
では股。

2011年8月25日木曜日

座りすぎは健康に支障をきたす?!

今日も仕事を連絡なしでブッチしたあり得ない後輩を想像の中でポカスカジャン(死語)しまくってる○上です!
さて、タイトルにも書きましたが座りすぎの生活を続けると寿命が縮まるって知ってました?それもイチジルシク。。。
米ペニントン生物医学研究センターのマーク・ハミルトン博士によると
「筋肉は、馬の死体のような反応しかできなくなり、筋肉の動きを伝える電気現象が減退する」んだそう。
更に、新陳代謝の機能を「大きく」損なうんですって。
9時間以上座ったまま仕事をしていると兼公は損なわれ、その後ジムに行こうがソファーに転がろうがあまり関係ないと、米国メイヨー・クリニックのジェイムズ・レヴァイン医師は言っているそう。
ってソンナ!!!
米国ガン協会が約12万人を対象に行った調査によると、一日に6時間以上座る人は、3時間以下しか座らない人に比べて何らかの病気で死亡する確率が男性で20%、女性では40%(?!)高くなったですって!
ひゃだっ!
そんなこといったら日本人の大半が危機に瀕してるじゃない。ヒンヒン。
てなわけで今日はここまで。
後味悪くてごめんあそばせ。
でも一日3時間以下しか座らない人って
美容師さんとか、アパレルのショップ店員、キッチン、ホールスタッフくらいよね。
3時間以下って難しい!
では、また気になったオモシロ記事をあげます。
あ、昨日かの有名なAppleの CEO Steve Jobsが辞任しましたね。
Appleは今後どうなるのでしょう。
Fun to Watch!





2011年8月8日月曜日

開発援助の今後 わたしたちの役割

こんばんは。
今宵も、加藤の時間がやってまいりましたよ。
新橋系ヲタさぼりんパニパニ加藤って自分で呼ぼっかなって思ってます。
好きなアニメは妖怪人間ベムと、ど根性ガエルです。

さて、最近はアメリカの財政赤字問題が大きな話題でしたね。
ここ2週間ぐらいニュースで見ない日はなかったぐらいです。
結局債務上限の引き上げをしたもののやっぱり国債の格付けランクが下がる結果でしたね。

でもこんな小難しい話題はちょっとおいておいて、財政赤字克服のために米政府では社会保障や医療関係費削減をしたり増税するかどうかの議論が上がっています。

これがもし日本で起こっていたらどうでしょう?たぶん大体の人はそんな厳しい政策を実行する政府なら選挙で野党に投票しようというふうになるんじゃないかなと思います。

そもそも社会保障サービスや増税がわたしたちの生活に大きな影響を及ぼしたり、その政策内容によって与党が批判されたりするのはなぜでしょうか?それはわたしたちが納税する側であり、同時にその税金を財源とする行政サービスを受ける側であることが理由だと思うんですね。払っている意識がある分、払う量やその使い道に関心を持つのは当然ですし、うまく使えない政府与党ならば選挙で不支持の意思表明ができますね。

では逆に納税側とサービスを受ける側が一致しないことってあると思います??

あるんですね〜。

もう〜私の興味のある分野の話題ばかりで申し訳ないですが、政府開発援助(ODA)がその一つです。わたしたちの税金が財源になっていますがサービスを受ける側は途上国の国民のみなさんですよね。わたしたちじゃないんです!サービスを受ける側が私たちではないので政府がどのようにお金を使っているかや、その効果について関心が薄くなるのは当然のことだなと思うんですね。しかもODA予算がどう使われているかは相当気合いを入れて調べないと分からないことですからわざわざ調べるのは面倒だなって思いますよね。極端な場合だと開発援助なんてわたしたちの生活に関わりがないし世界的な財政危機や金融危機の状況の中で日本の予算も厳しいし他の国を助ける余裕なんてあるのかって思うかもしれませんね。

さてここで今日の本題なんですが、この納税側とサービスの受け取り側の違う複雑な開発援助の将来について考えたいと思います。

わたしたちの社会を大雑把にまとめて、政府/市場/市民社会から成り立っていると考えます。3つはお互いに深く関わりあっていますね。例えば政府は市民社会にサービスを提供し市場に必要があれば金融政策で介入します。市民社会は市場活動に参加し、政府には納税します。ここで注目したいのは市民社会です。つまりわたしたちですね。

市民社会の活動の一つにNGOやNPOがあります。
彼らの活動は様々ですが今回の東北震災でも迅速な救護や復興支援でとても大きな役割を担っています。

国内だけではなくて国外でも貧困問題や人権問題に取り組む団体がたくさんあります。
同じ開発援助をする場合でも政府が行うのとNGOやNPOが行うのを比べると、私たちが親近感を持ってしかも参加しやすいのは後者ではないですかね?
政府の場合は国の予算なので規模が大きいので大規模の支援には欠かせませんが手続きが複雑であるのと、わたしたちがその情報にアクセスするのも手間がかかるのが欠点ですね。一方NGO/NPOは規模は小さくても機動性があり、わたしたちが少ない額から寄付ができたり直接参加できる点では情報の透明性があるし参加しているという感覚を持てるのが利点だと思います。

今後の開発援助ではODAとNGO/NPOが連携して活動することで様々な国の様々な規模のニーズに応えられると同時に、わかりやすい情報提供と直接参加でわたしたち市民も巻き込んで活動することができますね。そうるすことでODAの予算の使い道にも関心が集まり必然的に情報の透明性も必要とされてくるはずです。納税側のわたしたちが用途をしっかり把握できるのであれば、開発援助の必要性や重要性もわかるはずですし、そうすることによって政府としても国民から予算を集めやすい状況になりますよね。

政府と市民社会の連携は開発援助だけでなくてどの分野においても今後必要となることだと思います。国内でも国外でも様々な物やサービスの需要は多岐にわたるので、国が一括で配分する予算やサービスでは全てカバーできないのは当然ですね。ましてやグローバル化も進んで今後さらに需要は大きくしかも細分化していくのではないでしょうか!そうすると小回りがきいて迅速に柔軟に対応できる市民社会の役割がますます重要になると考えています。


もう夜中2時半ですよ。
さすがのパニパニも脳が限界を迎えました。脳がもう寝ようよ〜ってメッセージをわたしの体の神経に送り始めました。
ということで今日はこのあたりで。

最後にノリノリのメッセージって曲でおやすみなさい!今日ちなみに30回ぐらい聴いたのでもうそろそろ嫌いになりそうです。


・・・さぼってごめんなさい。

2011年7月26日火曜日

移民問題/テロと偏見 ノルウェーの連続テロに関して

こんにちは!!
そう、サボリン加藤です。
 日焼けしまくってアダモちゃんみたいになりそうです。

さ、みなさんももうご存知だと思いますが今日はノルウェーで起きたテロについて書きます。連続テロで多くの犠牲者が出ましたね。
今回の事件はノルウェー国内だけでなく世界各国に関わる大きな問題を内包していると思うので、そのへんを書きたいなと思います。

要点は、今回のテロの性格と、それをとりまくメディアに絞ろうと思います。

今回のテロの性格ですが犯人はムスリム移民に反対する右翼的プロパガンダを掲げるノルウェー人でしたね。ムスリム移民が西洋文明にとっての脅威だという主張は新しいものではありません。旧植民地からの移民も多いですからね。宗教や習慣の違いや、安い労働力となり現地の人の雇用機会を減らすだとか様々な理由で排斥の動きはず〜っとあったんですね。ヨーロッパで移民問題といえば、ほぼイスラム移民の問題を意味することが多いと思います。

移民問題。これは日本でも今後問題になってきますね。日本でもヨーロッパのように帝国主義の時代がありましたから、北朝鮮、韓国、中国からの移民もありましたし現在もだいたい200万人ほど外国国籍の人が日本に滞在しています。今後人口減少が予想されるので移民を受け入れて労働力として経済成長を維持しようという主張もあります。
地理的にも歴史的にも全く違うヨーロッパと日本の移民問題を比べるのはナンセンスだとは思いますが、どちらも現地の人と移民との軋轢はなかなか避けられない問題ですよね。
特にヨーロッパだとキリスト教的な西洋価値観と、ムスリムの価値観は特に大きな価値観の違いとなって問題となることが多いですね。
もう議論しつくされたトピックなのでここで挙げるのはすこしはばかられますが、サミュエル・ハンチントンというアメリカの政治学者が文明の衝突で主張するように、今後は国家や冷戦時代の西側、東側の対立よりも文明同士の対立が問題になると予見していたんですね。まさにその状況がアメリカやヨーロッパでおこっていますね。西欧文明とムスリム文明の対立は今もいたるところで顕在化しています。

移民問題に対してわたしの意見はとても流動的で、ここでみなさんにはっきりこれという意見が言えないのがもどかしいですが、必ずしも移民流入が治安悪化を招くという偏見は正しくありませんし、実際アメリカの移民が多い地域の方が少ない地域よりも犯罪数が少ないというレポートもありました。(どこで見たのか忘れたので探しておきます。)
日本は単一民族で島国で〜とかいう議論もありますが、もはや全てがインターナショナライズされている中で日本が一国繁栄すればいいというものではありませんし、実際そんなことは不可能になってきていると思います。

中国やインド、さらに東南アジアの人口を見ればもし日本政府が移民に対して宥和政策をとった場合に流入する移民の数はかなりの数になるし、何の準備もなければ社会は混乱することは当然ですね。一方、良い点もあって例えば有能な人材をどんどん日本の大学機関で教育して、将来彼らが自分の国や日本で日本の経済に貢献してくれるメリットもあります。ドイツなんかはよく中国の優秀な学生をドイツで育成して将来のドイツ国益のためのエリート育成をしてます。

さてノルウェーの事件に戻って、今回の一件でムスリム移民のヨーロッパでの問題がさらに顕在化することとなりましたね。今後ヨーロッパ諸国がどのような対応を移民に対して行い、どのような成果があるのかを見守ることは日本のこれからの移民政策を考える際の良い検討材料になるのではないかなと思います。

もう一つの要点、メディアの報道です。
事件直後、西欧メディアはテロとムスリム原理主義やアルカイダとの関わりを示唆する報道をしていました。商業戦略もあるのはよくわかりますが、テロ=ムスリムというイメージはやはりなかなか払拭できないものですね。
その後ノルウェー人のしかも反ムスリムイデオロギーを掲げる人が犯人だとわかったあとも、やはりムスリム色を捨てずにアルカイダの残虐性をまねたテロが起こっているなどと報道していました。(主にニューヨークタイムズについて言ってます。)ちょうどこの西欧メディアの報道に関してわたしがすごく共感できる記事があったので、英語ですがお時間があれば是非読んでみてください。
 ここにも西洋文明とムスリム文明の対立構造から、テロといえばなにかしらムスリム色がつきまとうメディア報道の偏見が存在するように思います。みなさんはどう思いますか?

移民問題と、テロと偏見について書きました。
ちょっと真面目でつまらない文章でしたが読んでいただいてありがとうございます!!

あ、最後にこの曲を聴いてみてください。
なんか世の中の憂いをわたしは想像してしまう曲ですがとても美しいです。

それでは、また。

2011年7月14日木曜日

カテゴライズすることの利点と問題点

こんばんは。
ブログさぼりんの加藤です。
サボリン加藤と世間では呼ばれています。

先日美容師のお友達と久しぶりに会って面白い話を聞けたので紹介しますね!

美容師さんって技術はもちろんだけどあれだけ競争率の高いフィールドで自分のお客さんをつけるには、やっぱり自分売りが大切ですよね!そこは営業マンと共通するところがあると思います。

そこでまずはお客さんが入ってきたときから服装、髪型、女性ならメイク、歩き方や座り方まで観察してどんな人かだいたい把握するそうなんです!!
歩き方まで。。。イヤンって思っちゃいますね。
足にあざとか傷があるとO型だな〜とか観察してるんですって!
ちなみに高学歴の人は待たせたらいけないとかそういうルールもあるらしいですよw

まず観察してどんな人かだいたい把握してから、初めてのお客さんであれば誰が切るのか、どんな雑誌を席に置くか、またお客さんとの会話の内容も決めるんですって。

確かに初めていったヘアーサロンでも、例えば自分がすごくクラシックなスタイルなのに担当がパンクのお兄ちゃんだったりとかって無いですよね。

美容師さんはお客さんの外見を見て、どんな髪型や色、どんなジャンルの会話を好みそうなのかまたはできればどんな性格なのかまで一瞬でカテゴライズして把握する癖がついているんですね。

わたしたちも意識的/無意識的に他人をカテゴライズすることってありますよね?例えば道を聞きたいんだけど、隣にこぎれいなスーツを着て銀の髪をきれいにまとめているおばさんと、マッチョで強面なおじさんがいたら何となく前者のおばさんの方が優しそうなのでおばさんに聞きますよねたぶん?無意識に二人を恐いか恐くないかで分類した結果です。またはよく血液型や誕生日や出身地を聞くことで性格を分類することもありますよね?(個人的にはナンセンスだと思いますが。)

でもなぜ他人を分類するかというと、ある程度自分が認識しやすいカテゴリーに相手の性格をあてはめていくことで効率的に理解しようとしているんだと思うんですね!

また別の観点から考えれば、みなさん自己同一性っていういわゆるアイデンティティーが自分にあると思います。他人との違いを明確にすることで自己を確立するという観点からすれば、自分と他人が属するカテゴリーを明確に区別したいという欲求があるのは当たり前だし、また自分自身もどこかのカテゴリーに当てはめて、それを自分のアイデンティティーのひとつにしたいという欲求があるとも考えられます。

つまり他人と自分を様々な要素にカテゴライズすることで効率的にお互いを理解しようとしたり、また自己を確立させる手段になっていたりするんですね!便利だしわたしたちに欠かせない精神的活動なのではないかなと思います。

ただこのカテゴライズが悲劇を生む場面ってたくさんありますよね?
たとえば人種や宗教や民族間の区別が様々な感情や政治的問題と結びついて偏見や差別につながり、最悪の事態では紛争や戦争が起こることも実際にありました。
みなさん1990年のルワンダ紛争は覚えてますか?ツチ族とフツ族の争いでした。しかしこの民族は植民地支配の過程で便宜的につくられたいわゆる政治的な民族で、もともとは同じ言語であるし農耕か遊牧かぐらいの違いでした。簡単に言うとベルギーやフランスが当時植民地経営をたやすくするために、ツチを優遇してフツとの対立をわざと誘発したんですね。そうすることで一国全体を支配することで全体から反発をくらうより、ある集団を優遇してその集団に支持されている方が比較的楽に植民地として維持することができたわけです。

この民族のカテゴライズは人為的なカテゴライズの極端な例ですが、みなさんに今日伝えたかったことは普段当たり前のように思っているカテゴリーは、結局は私たちが効率や自分の便宜のために作り出したカテゴリーであって、それを何の疑いもなく信じたり、カテゴリーにあてはまらないような人の性格や現象を見逃したり、またはそれらの存在を認める余地を排除してしまうのはとても危険ということです。

最後に、なかなか濃いキャラクターたちの登場する映画を紹介します!
Me and You and Everyone We Knowというタイトルです。なかなかパッとは登場人物の動きがつかめない映画です。
ちな〜みにずっと前当時つきあってた彼氏と観た映画なので個人的にこの映画には内容とは関係無くなんとなく寂しさがついてまわりますw

最後にJulie AndrewsとAndy Williamsのえ?いいの?ぐらいラブラブな一曲でおやすみなさい。

2011年7月9日土曜日

あなたの体はいくらですか?



こんばんは。
さっ、今宵も加藤の時間がやってきましたよ。

暑いですね!
今日の話題はちょっとぞっとして寒くなるかもしれません。

さて、みなさんは人体の不思議展ってご存知ですかね?
本物の人の体を特別な技術をつかって、体の水分や脂肪分を合成樹脂におきかえて保存しているものを実際に見ることができます。
一般の人々に実際にリアルな人体を見ることができる機会が与えられるようになったり、
教育や研究用に使われたりと、この技術によって多くのメリットが生み出されました。

わたしも4年前ぐらいに見にいったことがあります。
横浜でやっていて、一人で行ったら周りはキャーキャーいってるカップルしかいなくて
ちょっと気まずかった覚えがありますw そこを男らしいわたしは一人で鑑賞してましたよ。
 イギリスでも一度いきました。バーミンガムだったかな。キリスト教の影響もあって胎児の展示については見るか見ないかは自分で決めてくださいという文言があったのは印象的でした。
世界中でこの技術を使った展示会は人気だったんですね!

さて、行ったことのある方はどう思いました?
わたしは正直に本物の人だと思うととても恐かったです。
この人たちは生前どんな人だったのかなとか、どこから来たのか不思議でした。
生前にドナーとして献体に同意した方々の体を使っているとのことです。

でも実はこのドナーに少し問題があるようなんですね。
みなさんも少しネットで調べていただくと日本や海外のメディアがドキュメンタリーをつくっているので見ることができますが、ドナーが主に中国やその他の国の同意していない囚人や一般の人だという批判が多くあります。

NEW YORK TIMESは人体を加工する中国の工場の撮影をしています。
英語ですが、画像だけでも内容は結構わかりやすいと思います。
なぜ中国かというのは政治的な問題があったりややこしいのでひとまずおいておいて、
このビデオでは中国で人体を扱うビジネスが大きくなりつつあることがわかります。
しかも多くの雇用も生み出しているんですね。

人体を扱うビジネスはあまり普段わたしたちは直接目にしませんが確実に大きなマーケットです。

人体の展示だけでなく臓器移植の臓器や血液のトレードにおいて、中国だけでなくインドやアジア、中東の貧困層から違法に臓器や血液を安く提供させるという悲しい事実もあります。お金の無い貧困層は収入のために仕方なく提供せざるを得ない状況がありますね。
 
また最近は代理出産が行われることも多くなりましたが普通先進国であれば1000万以上かかるそうですがインドやタイであれば3分の1程度で済むそうです。
現地の代理母たちは普通の年収の5~10倍の収入が得られるそうです。

こうやってみてみると人体に関するビジネスは確実に大きくなりつつあるし、途上国の貧困層や人権の保護されない状況にある人々の犠牲がある一方で、雇用を生み出し貧困層の収入源になっていることも事実です。

ここでわたしには2つのジレンマがあります。
まず、人権を守らず人の体をビジネスの対象にしてお金儲けをする人がいるのは倫理的におかしいとは思いますが、その一方そのビジネスやマーケットが多くの雇用を生み出し、彼らの生計を助けていることは事実です。
2つ目は、みんな先進国と途上国の格差は無くす努力をすべきだとは分かっていますが、安くてすぐ手に入る臓器や安い代理出産の恩恵を受けているのは先進国の人々(わたしたち)で、さらにそのマーケットの需要をつくりだしているのも私たちです。

話が少しそれますが、新薬の開発でも先進国で需要のある薬はどんどん開発されるけれど、途上国特有の病気のための薬の開発はなかなか進まないんです。
先進国であれば新薬開発のために資金が集められますが、途上国特有の病気の薬はその地域でしか需要がなかったり資金を集めるのも一苦労ですね。

みなさんはこの体をめぐるビジネスと人権や倫理、先進国のわたしたちがどうそのビジネスに関わっているかについてどう思いますか?
Mo'Chotto Projectの話し合いでも一度この話題を扱えればなと思っています。



もうご覧になった方もいらっしゃると思いますが、
私を離さないで(Never Let Me Go)という映画はご存知??
Kazuo Ishiguroさんの本を映画化したものですが、臓器移植のためだけに育てられる子供たちのお話です。とても考えさせられる内容ですので本か映画を是非!イシグロさんは日本人ですがイギリス国籍で大好きな作家の一人です。



最後にその映画から一曲!土曜の夜、お家でひとりでいるロンリーなあなたへ。
このロマンチックな一曲をどうぞ。

2011年7月8日金曜日

幸せの量GNH! (Gross National Happiness)

どうも、
そうですチャビンの加藤です。

今日は曇ってますね。
天気が悪いとなんとなく嫌な気分ですよね?
しかも忙しくてやること溜まってるときに朝起きて天気がわるいとこの世の終わりみたいな気がしたり。

よく天気が人の気分や体調に影響があるって言いません?
これについてはその関連性や影響の大きさについて様々な見識があるようです。
SAD(Seasonal Affective Disorder)ってご存知ですか?日本語は季節性情動障害らしいです。もうなんかSADって時点で悲しい響きですよねw
簡単に言うと季節の変化によって鬱になったりする障害です。
日照時間が主な原因らしいので治療法としては紫外線を適量浴びる方法もあるそうです。
北欧の人は冬が長くて日照時間が短いから鬱が多いってたまに聞きません??
でもアイスランドは例外らしいんですよ!
何でかというと伝統的に魚を食べることで、日照時間不足によるビタミンDの欠乏を補って、さらにDHAで神経系の機能不全を防いでくれるのでSADの症例は少ないそうです。

さて本題ですが、みなさんにとっての幸せって何ですかね?(聞かれると困るやつだよね)
きっとSADに悩む人にとっては季節が変化しても元気に生活できるだけで幸せかもしれないですよね!

今週、何か幸せ〜って思うことありました??教えて教えて!
わたしはやることが一段落ついて昨日の夜に家で一人で本読んだり映画観てるとき、
やることやってやったぜ〜っていう充実感と自由な時間にありがたさを感じつつ幸せって思いましたね♫ ちなみに映画はDead Poet Societyを観ました。

いや〜ちょっと泣いちゃいましたよ!ちっちゃい頃観たけどもう一回、今みたらなんて奥深い映画だろうかと。規律だらけの名門男子校に働く斬新な教育をする英語教師とその生徒たちの映画。
主演はRobin Williams。(彼ほんといい役やんな〜!レナードの朝とか鼻水出るくらい泣きましたよ。)生徒たちは将来のエリートで、厳しい規律と教育のもと寮生活をしていました。そんな彼らが情熱的な英語教師に出会い詩の授業をとおして自分の心の奥底にあるものを表現することを学んでいきます。Dead Poet Societyという秘密の会をつくって自作の詩や好きな詩を、夜にこっそり寮を抜け出して洞窟の中で読み合いをしていました。(青春時代のこういう学校のルールやぶって親友たちと何かするって懐かしいな!)その中の一人が自分は俳優になりたいと気づき、厳しい両親に反発されてある事件が起こるのですが。。。
この映画で、その少年は将来約束されたエリートになるよりも、将来がどうなるかわからなくても、俳優の道を選ぶ方が自分の幸せだったんですね。両親が考える彼の幸せと彼が考える幸せは違っていたわけですね。

幸せって人それぞれ違いますよね?
しかも自分自身でも何が幸せっていうのは定義しがたくないですか!?

でもいくら経済的に豊かになっても心の幸せってやっぱりそれとはちがうとこにあるんですよね。。。
みなさんGDP(国内総生産)とかGNP(国民総生産)とかそういう指標はご存知だと思うんですがそれだけだと経済的豊かさしかはかれないんです。


そこで!ブータンではGNH(国民総幸福量)を向上させることを国是としたんですね。
つまり国民の幸福量を知り、その量を増やしちゃおう!というもの。
様々な地域の人口の一部に聞き取り調査をして、幸せの量を把握します。
生活水準や政治的安定とか経済面での指標ももちろん含まれますが心理的幸福はGDPでは把握できないものですよね。

こうしたGNHを先進国でもとりいれようという動きがあります。
日本でもその動きがあるようです。

問題は、何をもって心理的幸福とするかですよね!!
まずは幸福が定義できないとその量なんてわからないですからね。

正直、わたしのこの小さな脳みそで国民全体の幸福量をどうやって定義して調べたらいいかわかりません。。。みなさん何かアイデアあります?

でも、「自分にとって何が幸せか」「みんなにとっての幸せとは」って考える過程がとっても大切じゃないですか??
GNHの指標が有効なものになるかはまだまだわからないけど、わたしはみんなが幸せが何なのかって考える機会を与えることにとても意義があるかなと思います!!!

最後にHappiness is a warm gunの映画across the universeバージョンで今宵はお別れです。(ラジオかw)

2011年7月7日木曜日

数学と音楽

こんにちは。
そう、世間ではああ呼ばれている加藤です。

突然ですが今日起きてから今までに音楽聴きました?

私は朝起きた瞬間に江利チエミさんを聴いて、不機嫌からなんとか回復し、
そのあと
The Seedsを聴いてノリノリしてたら危うく電車に乗り遅れそうでした!・・・イヤン。

そうそう、たまに90年代ぐらいのわたしが幼稚園ぐらいのときのアメリカのアイドルグループなどの曲を(罪悪感と恥ずかしさを感じつつ)聴きながら歩いていると(たまに無性にバックスとか聴きたくなりません?!)、ふとテレビの街角インタビュー的なので「今なに聴いてるんですか?」調査されたらどうしようと不安になりますw  そんなときはさっと選曲をThe Smithsに変えて、This Charming man聴いてましたって言えるように心の準備してます。

さてさて、本題ですが数学と音楽って全然関係なさそうに思いません??数学の理論と芸術って何の関係があるんだろ〜な〜って。
実はあるんですね〜!!(ドヤ顔)

古代ギリシャでは、数学(代数)、幾何学、天文、自然科学、音楽はどれもみんな同じ人によって研究されることもあったんですよ。古代の人は前述全てが宇宙や自然に存在する比率を反映するものと考えていたんですね。ハルモニア論といって宇宙、自然、魂と肉体、音楽には共通する数的比があるという考えが存在していました。
だから音楽は数学的側面から音律の探究が盛んだったんです。
今当たり前のようにピアノの調律をしたりしますよね?音は振動数で高さが決まりますので、振動数を調整することで調律しているんですね。

でも古代は今とはちょっとちがう音律を使っていたんです。

ピュタゴラス音律というんですがドと、その1オクターブ高いドの振動比率は1:2で、完全5度であれば比率は2:3、完全4度は3:4の3つの比率を使って調律していました。欠点は3度の音になるとうなりが発生することです。なので一つのメロディーだけの曲であれば美しい演奏ができますが3度に問題があるので和音には向かないということですね。(この音律は中世まで主流でしたがその後3度に2つの比率(4:5ないし5:6)をあてはめることにした純正旋律でうなりを解消しましたが、2つあるので転調の度に調律しないといけない問題がありました。)
今だとドミソの和音は美しく響きますが、ピュタゴラス音律だとミがあることで不協和音になりますので、グレゴリオ聖歌を聴いていただくとわかるように和音はドとソのような完全5度は存在しても3度は存在しないのです。

現在では平均律というのを使っていて1オクターブを12個の半音に等分する方法で半音の振動比を2の12乗根に決めています。これで人間の耳には違和感のない音律となっていますが厳密には純正な協和音ではないんですね。

古代ではそんな音律の探究とともに、エートス論というのもあり音楽の持つ倫理的な性質や効果についても論じられていました。音楽と倫理や哲学も関係していたんですね。

さて、ルネサンス期になるとドイツの天文学者ケプラーが惑星の運動法則を音楽に表すというおもしろい研究をしていたんです!!(このヲタっ!w でもそういうの大好き)
ちなみに地球は一番右上の楽譜。
わたしたちの頭上で惑星たちがこんな音楽を奏でているのかな〜と思うと不思議ですね!

今日は数学と音楽の関係でした。
苦手な人も多いかもしれない数学ですが身近なとこで意外な物に使われていたりするので
これから意識して探してみるのも面白いかもしれませんね!!

2011年7月6日水曜日

2つの問題を1つにリンクさせること

こんばんは。
ハゲと呼ばれて久しい加藤です。

みなさん、TABLE FOR TWOというプロジェクトはご存知ですか?
わたしたちが対象となる健康を考えて作られた定食や食品を買うと、その売り上げの一部が発展途上国の子供たちの給食といった食料支援に使われるというものです。

さて、このプロジェクト何が素晴らしいって、
先進国の肥満や不健康に悩む人をヘルシーな食事で助け
同時に、貧困に苦しむ人々に食料を提供して助けているということ!


注目してほしいのは同時にというところ。
わたしはこれからの社会の中で、一見関連のなさそうな2つの問題や、矛盾しそうな2つの問題を1つにまとめて解決するということがとても重要になると思うんですね!
1つのアクションで2つの問題を解決できれば効率がいいですよね。
さらにヒト/モノ/カネの移動はご存知のとおりとても活発で互いに複雑に絡み合っています。ということは目の前の問題が糸をたどっていけば全然違う問題に結びついていることがあります。

例えば、途上国の貧困削減と環境問題解決は関係無いように見えますよね?
でも実際には2つを両立させる開発援助政策が行われている例もあるんですね!

例えば 日本のODA(政府開発援助)で行われているインドでの植林活動。
タミールナド州というところでは森林の荒廃が問題になっていました。
さらにそこに住む人々は森林から伐採をした林産物が主な収入源でした。なので森林の荒廃はどんどん進んでいたんですね。
そこで開発援助によって、植林をしたんですがポイントは現地の人を雇って植林したという点です!(まずは現金収入に繋がりますね。)
それと同時に林産物からしか収入が得られないからどんどん伐採が進むので、
この対策として牛のミルク販売やロープを作る技術を伝えて、様々な就業機会をつくったのです。

これで環境問題と貧困問題が一気に両方改善しましたよね!

でもなかなか2つを結びつけるのって、発想が必要だったり、そもそもいろんな情報に関心をもって集めていないと関連性を見つけるのって難しいですよね!

Mo'Chotto Projectが少しでもみなさんが様々な問題に関心をもつきっかけになったり
そういった場をこれから提供できればと思っています。


ちょっとまじめなポストになりましたが、
これからこんなことを書いてほしいとかあればどんどんコメントくださいね!!

タクシーの運ちゃん

今日行ったプレスルームのお姉さま方がそれはそれはこわくて
私はスタイリストでもなく、一緒にイベントをやるということで同じ立場のはずなのに・・・
とてもつっけんどんで・・・
あぁゆう方々はなぜ無駄につっけんどんなんですかToT
私も気が強いと思いますが無駄に強気に出ないので。特に知らない人となれば尚更!

リースした巨大な紙袋を3つもぶらさげトボトボとタクシーを拾いました。
運ちゃんに「すごい買い物したねぇ」といわれたので思わず、
「買い物じゃなくて○○○さんでリースなんですよ」から始まり~の軽く愚痴をこぼしました、私!笑。
運ちゃんは果てしなく私をなぐさめてくれ「あなたは育ちがいいんだよ!でも私も商売してたから分かるけど、何も恥じることないし一つの目的のために一緒に頑張ってるんだから胸張って強気で出ていいんだよ!でも出ないのは育ちがいいんだよ!両親がよかったんだよ・・・・・・」と。
やっぱり育ちがいいの分かっちゃうんだぁと涙。つって!

メーターも入れるのを忘れしゃべり続けた運ちゃんは、会社に着いて「タダでいいよっ!」と言ってくれました。
しかし!私をひどい条件で働かせてる会社に請求してやる!と思ったので、といっても710円しか請求してこなかったので、710円払いました。こんなことで会社に仕返しをしてると思っている私は男らしいと思います。
あげくの果てに運ちゃんは会社に着いたのにタクシーを止めて私を大幅になぐさめてくれました。
会社の人がビルから出てきて、タクシーの中で話してる私に笑って手を振って通りすぎていきました。
そうして10分後私は感動で胸が一杯になりながらタクシーを降りて行きました。
泣いちゃうぞ!
運ちゃんありがとう;_;
そんな運ちゃんは日本交通株式会社です。優良運転手というマークが名前のところに貼ってありました。さすがね♥

2011年7月4日月曜日

Dream A Little Dream Of Me

やっぱり

先日@喫茶銀座にて、第二回Mo'Chotto Prjctをやりました。
お店の外まで来てくれたんだけど、「中で真剣そうに話してるからやっぱり入れない、帰ります」と行って帰った人も中には。。ガックシ!
全然真剣に話してなかったんだけどな。。ふざけでばっかりだったし。シュン。
そこで、、、
やはり自分が疑問に思ってることとかって知らない人(例え友達の友達でも)と共有するのは抵抗あるのかしら。
例えば外人だと友達の友達の集まりとかにフラっといって、新しい友達作って難しいこと簡単なことに関わらず、何かについてアツく語ったりとか普通にするんだけどね。
といっても「外国人」をやたら褒めたり「日本人て」とかあんまり言いたくないんだけど。。
閉鎖的な人もいるのね。
Mo'Chottoの和を広げるのは難しいのかしら。
や、アキラメマセン、カチュマデワ。
さ、最近見てすっごく暗くなったけど、あとから何か好きになった映画。
今更だけどCandy
みんなも見てみて。

追記:最近Mo'Chottoの加藤と溝上はオシャレカフェは卒業してレトロなスナックとか喫茶店にハマり中。

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