こんばんは。
ブログさぼりんの加藤です。
サボリン加藤と世間では呼ばれています。
先日美容師のお友達と久しぶりに会って面白い話を聞けたので紹介しますね!
美容師さんって技術はもちろんだけどあれだけ競争率の高いフィールドで自分のお客さんをつけるには、やっぱり自分売りが大切ですよね!そこは営業マンと共通するところがあると思います。
そこでまずはお客さんが入ってきたときから服装、髪型、女性ならメイク、歩き方や座り方まで観察してどんな人かだいたい把握するそうなんです!!
歩き方まで。。。イヤンって思っちゃいますね。
足にあざとか傷があるとO型だな〜とか観察してるんですって!
ちなみに高学歴の人は待たせたらいけないとかそういうルールもあるらしいですよw
まず観察してどんな人かだいたい把握してから、初めてのお客さんであれば誰が切るのか、どんな雑誌を席に置くか、またお客さんとの会話の内容も決めるんですって。
確かに初めていったヘアーサロンでも、例えば自分がすごくクラシックなスタイルなのに担当がパンクのお兄ちゃんだったりとかって無いですよね。
美容師さんはお客さんの外見を見て、どんな髪型や色、どんなジャンルの会話を好みそうなのかまたはできればどんな性格なのかまで一瞬でカテゴライズして把握する癖がついているんですね。
わたしたちも意識的/無意識的に他人をカテゴライズすることってありますよね?例えば道を聞きたいんだけど、隣にこぎれいなスーツを着て銀の髪をきれいにまとめているおばさんと、マッチョで強面なおじさんがいたら何となく前者のおばさんの方が優しそうなのでおばさんに聞きますよねたぶん?無意識に二人を恐いか恐くないかで分類した結果です。またはよく血液型や誕生日や出身地を聞くことで性格を分類することもありますよね?(個人的にはナンセンスだと思いますが。)
でもなぜ他人を分類するかというと、ある程度自分が認識しやすいカテゴリーに相手の性格をあてはめていくことで効率的に理解しようとしているんだと思うんですね!
また別の観点から考えれば、みなさん自己同一性っていういわゆるアイデンティティーが自分にあると思います。他人との違いを明確にすることで自己を確立するという観点からすれば、自分と他人が属するカテゴリーを明確に区別したいという欲求があるのは当たり前だし、また自分自身もどこかのカテゴリーに当てはめて、それを自分のアイデンティティーのひとつにしたいという欲求があるとも考えられます。
つまり他人と自分を様々な要素にカテゴライズすることで効率的にお互いを理解しようとしたり、また自己を確立させる手段になっていたりするんですね!便利だしわたしたちに欠かせない精神的活動なのではないかなと思います。
ただこのカテゴライズが悲劇を生む場面ってたくさんありますよね?
たとえば人種や宗教や民族間の区別が様々な感情や政治的問題と結びついて偏見や差別につながり、最悪の事態では紛争や戦争が起こることも実際にありました。
みなさん1990年のルワンダ紛争は覚えてますか?ツチ族とフツ族の争いでした。しかしこの民族は植民地支配の過程で便宜的につくられたいわゆる政治的な民族で、もともとは同じ言語であるし農耕か遊牧かぐらいの違いでした。簡単に言うとベルギーやフランスが当時植民地経営をたやすくするために、ツチを優遇してフツとの対立をわざと誘発したんですね。そうすることで一国全体を支配することで全体から反発をくらうより、ある集団を優遇してその集団に支持されている方が比較的楽に植民地として維持することができたわけです。
この民族のカテゴライズは人為的なカテゴライズの極端な例ですが、みなさんに今日伝えたかったことは普段当たり前のように思っているカテゴリーは、結局は私たちが効率や自分の便宜のために作り出したカテゴリーであって、それを何の疑いもなく信じたり、カテゴリーにあてはまらないような人の性格や現象を見逃したり、またはそれらの存在を認める余地を排除してしまうのはとても危険ということです。
最後に、なかなか濃いキャラクターたちの登場する映画を紹介します!
Me and You and Everyone We Knowというタイトルです。なかなかパッとは登場人物の動きがつかめない映画です。
ちな〜みにずっと前当時つきあってた彼氏と観た映画なので個人的にこの映画には内容とは関係無くなんとなく寂しさがついてまわりますw
最後にJulie AndrewsとAndy Williamsのえ?いいの?ぐらいラブラブな一曲でおやすみなさい。
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